COUNTDOWNはチャレンジを厳選した国内唯一のグローバルクラウドファンディングです。

シルクロードに残された壁画を、みんなの支援で救いたい! ー ウズベキスタン共和国バラリクテパ壁画 ー

社会貢献したい

シルクロードに残された壁画を、みんなの支援で救いたい! ー ウズベキスタン共和国バラリクテパ壁画 ー

コラボチャレンジは、目標金額の達成可否に関わらず決済が行われます。

このチャレンジについて

中央アジア、シルクロードにはまだまだ解明されていない謎が多く残されています。往時繁栄した民族のファッションや習慣・風俗などもその一つです。そのような謎にせまる手がかりを与えてくれるものの一つに、遺跡に残された壁画があります。

バラリクテパの壁画は、発掘当初からその独自の表現で、謎の民族エフタルや西突厥として注目された壁画の一つですが、原資料は所在不明となってしまい、模写から研究するしかありませんでした。今回その壁画の一部が、ウズベキスタン共和国立テルメズ考古学博物館に所蔵されていることがわかりました。

しかし、発掘当初の保存修復材の経年変化と劣化などによって、今崩壊の危機にさらされており、早期の再修復の必要に迫られています。シルクロードの研究のために、この貴重な文化遺産を、サポーターの皆さんのご協力で一緒に未来に残しましょう!


そもそもどこにあるのでしょう?


テルメズの位置

ウズベキスタン共和国は中央アジアの中心にあり、アムダリア川とシルダリア川の間にある国です。その南の端アフガニスタンとの国境に、アレキサンダー大王や玄奘三蔵も訪れたシルクロードの要所テルメズがあります。バラリクテパはそこから30Kmほど北西に向かった所に位置します。


サマルカンド・レギスタン広場


メドレッセ内部


ナウルーズの食事


テルメズのバザール


どんな遺跡でしょう?


バラリクテパ


ウズベキスタン共和国立テルメズ考古学博物館

ウズベキスタン芸術学研究所のルトベラーゼ先生によると、バラリクテパは1949年に旧ソ連邦の考古学者アリバウムによって発見され、1953年から1955年に発掘された宮殿跡です。

この宮殿は5世紀に築造され、5世紀の終わりから6世紀の初めに改築されました。その改築された壁に描かれたのが今回修復する壁画です。その後7世紀中頃には使われなくなり廃墟となってしまいます。

壁画はアリバウムによる発掘調査によって剥ぎ取られ、分割されて、そのほとんどが所在不明となってしまい、全容は残された模写によってのみ窺い知ることが出来る状況でした。このたび、その一部がテルメズ考古学博物館に収蔵されていたことが分かったのです。それが本資料です。大きさは70cm×88cm、厚さ5mmほどで、発掘調査時に保存処理されたままの状態です。


壁画には何が描かれているのでしょうか?


バラリクテパ壁画模写 ウズベキスタン共和国立歴史博物館(タシュケント)


バラリクテパ壁画模写


バラリクテパ修復予定部分壁画模写

壁画には貴族と思われる男性や女性数名が、天幕の中で宴会をしている場面が華やかに描いれていました。従者を後方に控え、男性は片襟(右側)を大きく開いた服を着ているのが特徴的で、この服を着た人々はクチャのキジル石窟第8窟やアフガニスタンのバーミアン石窟東大仏天井図にも描かれており、シルクロードを往来していたことがわかります。手には酒器を持っています。女性は大きな上着を羽織り、鏡と酒器を手にしています。男女ともに頭の後方になびいた紐も特徴的に表現されています。


バラリクテパ壁画模写

また別の部分には、キジル石窟第8窟の人物画にもあり、奈良正倉院の獅子狩り文錦にその意匠が伝わる連珠円文に、狼の顔が描かれている錦の上着を着た人もみえます。仏の眉間にある白毫を思わせるものを表す人物もおり、シルクロードを経由して日本にも伝えられる仏教的要素も見受けられます。

このように本資料には連珠文に代表されるササーン朝ペルシャの様相や、服装に見る当時の中央アジアの様相が混在し、シルクロードを往来する人々によって伝えられる様子をうかがい知ることができます。

絵の解釈は様々です。ルトベラーゼ先生によると、一つはアリバウムの説で、宗教儀式に伴う酒宴で、その時代の貴族の祭りの時の食事を表している絵であるという説。

もう一つは芸術学研究所のプガチェンコワの説で、サーマーン朝に支配されたペルシャの詩人フェルドウスィーが1010年に完成させたイラン民族叙事詩の「シャーナーメ」に伝わる物語の一つ、イエメンセルバという王様にペルシャのフェルリドンという王様が自分の息子とイエメンセルバの娘の結婚を申し込んでいる時の会食を描いている壁画であるという説があります。

どんな民族がこの絵を描いたのでしょう?

この壁画が描かれたと思われる6世紀から7世紀、この地域を支配していたのはクシャン朝を倒したエフタルと、そのエフタルを567年に滅ぼした、西突厥が考えられます。エフタルは国家の滅亡後もしばらく活動していたことが文献によって知られています。

奈良文化財研究所の影山悦子さんは、ジャンギャル・イリヤゾフが指摘した上着の襟を片方だけ開ける意匠をエフタルのものとすることに賛同され、5世紀後半から6世紀前半のエフタル人が描いたものとされました。

一方、中央大学の田辺勝美先生は、アフガニスタンなどから出土したエフタル期のコインの意匠とバラリクテパ壁画の人物像は異なることから、6世紀後半から7世紀初頭の西突厥統治下でイラン的な様相をもった地方色が明らかな壁画とされています。

519年、中国北魏からエフタルに使節として赴き、国王に会見した宋雲は『宋雲行紀』に、「(エフタルは宴)会を開くにあたっては、1人が唱えればすなわち宴会が開かれ、のちに唱えればすなわち宴会は終わる。ただこのやり方が行われるだけで、音楽は見られない。エフタル国の王妃もまた長さ8尺余りの錦衣をつけ、3尺も地に垂らし、従者に捧げ持たせている。頭には一角で長さ3尺の頭帯をつけ、赤色珠、五色珠でその上を装飾している。」と記しています。壁画の人物は、服装は良いとしても、頭の飾りはエフタルとはだいぶ違います。

また、8世紀前半とされるペンジケントの壁画に描かれた宴会の場面では、襟の形などは違いますが、椅子に座った王の右手の下にある、脚のついた淺鉢のような食器の模様とバラリクテパ壁画の人物が持つ酒器の模様は似ています。また、王の隣にいる三人の男性の敷物には連珠文の縁取りを見ることができます。したがって、さほど遠くない時期に描かれた可能性が高いように思えます。


タジキスタン・ペンジケント壁画(椅子に座った王)


タジキスタン・ペンジケント壁画(三人の男性)

史書の『魏書』列伝第九十(西域伝)には、嚈噠(エフタル)国の習俗などについて、「習俗は突厥とほぼ同じ。兄弟は1人の妻を共有する。兄弟の無い夫は、妻に突起が1つ付いた帽子を被らせ、もし兄弟がいる場合には兄弟の数により、突起の数を増やさせる。衣服には、瓔珞を付ける。頭部は皆、髪を刈る。」とあります。

エフタルと西突厥がほぼ同じ習俗をもっており、エフタルは妻の数で帽子の突起の数を決めていますので、壁画の女性像とは合致しません。この壁画の人々の服装が西突厥のものであるという証拠はありません。しかし、クチャのキジル石窟第8窟やアフガニスタンのバーミアン石窟東大仏天井図にも描かれていることを考えると、当該期にこれらの地方に影響を与えた人々の服装に近いと解釈することが許されるかもしれません。

いずれにしても、バラリクテパの壁画は他にはない丸顔の面立ちをしており、現在のところ唯一無二のものですから、田辺先生の説のように、時期的に西突厥の影響下にある、在地の貴族の酒宴を表していると考えるべきではないでしょうか。

6世紀から7世紀の中央アジアの歴史を紐解く歴史資料は非常に少なく、その中でもバラリクテパの壁画は貴重な資料といえます。本資料は壁画の一部ではありますが、原画の存在が明らかにされている数少ない資料の一つといえ、芸術的・学術的価値も高いことを考えると、修復の必要性が高い資料です。

なぜ、今、修復しなければならないのでしょう?


修復予定バラリクテパ壁画(表)


修復予定バラリクテパ壁画(裏)

そもそも、文化財の修復は一度やればそれで終わりというわけではなく、素材の劣化や修復技術の進歩などに合わせて定期的にやり直して行く必要があります。

バラリクテパの発掘が行われた1950年代に旧ソ連邦で広く普及しており本壁画の保存処理にも使用された樹脂は、塗布されてから60年以上たったこともあり、経年劣化が著しく、現在では黒く変色し、描かれた画像を判断することが困難な状態です。

また壁画は、裏打ちに使用している一枚のガーゼを、厚さ1.5cm程の合板に錆びた画鋲数個で固定してあるだけなので、いつ画鋲が外れ、崩れ落ちるかわからない状態なのです。ガーゼの劣化による破裂や石膏の亀裂や粉状化も深刻です。さらに、保護のために塗布された樹脂が劣化して硬くなり、逆に壁画面を破損してしまう恐れがあります。

このように、本壁画の現状は保存上極めて危険な状態にあり、早急に保存修復処置を行う必要性があるのです。


石膏の亀裂


樹脂の劣化


画面の亀裂と劣化

なぜ私がやるのでしょう?


打ち合わせの様子

私がこの壁画の修復をやろうとしているのには経緯があります。昨年、立正大学の発掘で、加藤九祚先生とカラテパを調査している時、国立テルメズ考古学博物館館長のゼボニソさんから「ソ連時代にやった壁画の修復が劣化してぼろぼろになったので、何とかしてほしい」という話がありました。それが今回のバラリクテパの壁画です。

ゼボニソさんは、私が2002年から国際交流基金や文化財保護芸術育成助成財団から助成をいただいて、タシュケントでやっている考古学・修復学・博物館学のワークショップの受講者なのです。また、私の妻は文化財の修復士で、特に考古資料の修復の専門家であり、長年ウズベキスタンの考古資料修復にも従事しています。

壁画自体は1級資料で、発掘当初より非常に有名な壁画で、中央アジア古代史で世界的に著名なエドワルド・ルトベラーゼ先生の本にも取り上げられておりますが、ソ連時代に切り分けられて、それぞれの博物館や研究所へ分散され、その後、ソ連の崩壊に伴って所在がわからなくなっていたのです。

したがって、これを修復することはウズベキスタン考古学にとっても、シルクロード研究の上でも、また、日本の国際貢献という観点からも重要だと考え、国際交流基金に資金協力をお願いしました。それによって国際交流基金から交通費を出していただけることになりました。そこで今回はクラウドファンディング・COUNTDOWNを利用して、壁画の修復費用を捻出しようと考えた次第です。

修復の意味

今まで見てきたように、バラリクテパ壁画はまだまだ謎の多い貴重な壁画です。今後、研究者が、往時の人々の習俗の研究や人々の生活の様子を研究するためにも、ぜひ、今回保存処理を行い、展示や学術研究に活用できる状態することが絶対に必要なのです。

また、保存処理をワークショップという形態をとって行います。そうすることで、現地の修復者と共同で作業を行い、日本とウズベキスタン共和国との草の根レベルの友好を深めると共に、日本の保存修復技術を移転し、国際貢献に寄与することができると考えています。

費用の使い道

(金額単位:千円、ドル)
費目, 金額, 内訳・算出根拠 等
▪ 交通費 280千円
- 往復渡航費(タシケント~成田間)200千円×1人=200千円
- 現地移動費(タシケント~テルメズ間)20千円×3人=60千円
- 車代20千円
▪宿泊費 700千円
- 10千円(1泊)×35泊×2人=700千円
▪通信費・運搬費 50千円
- 通信費(電話料,郵便料)6千円
- 機材運搬費 10kg 44千円
▪物品購入費 205千円
- 消耗品(修復材料)200千円
- (一般文具) 5千円
▪研究協力者謝金 700千円
- 修復技術者日当 20千円×35人分=700千円(内訳:クリーニング、強化処理、剥落止めなど修復実施費)
▪研究補助者謝金 360千円
- ウズベキスタン修復家の協力・助言に対する謝金  6千円×2人×30日=360千円
▪その他の報酬 245千円
- 修復に伴う通訳料および関係機関への手紙・契約書等関係書類の翻訳料 7千円×35人分=245千円
▪印刷費 10千円
- 資料印刷費 10千円

合計 2550千円
注:交通費は国際交流基金から支給
:320千円は古庄が負担
したがって、1950千円をクラウドファンディングで集めます。

西遊旅行では、このプロジェクトの期間にあわせて見学ツアーを企画しています。サポーターには特典があります。詳しくは、03-3237-1391 西遊旅行(担当 山田)まで http://www.saiyu.co.jp/


このプロジェクトは国際交流基金の協力をいただいています。http://www.jpf.go.jp/j/