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「見えない波」ー震災以降「言葉」を探し続けてきた作家の古川日出男、詩人の管啓次郎と石田瑞穂の3人が、世界の人々と語る

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「見えない波」ー震災以降「言葉」を探し続けてきた作家の古川日出男、詩人の管啓次郎と石田瑞穂の3人が、世界の人々と語る

パリお墓散歩のすすめ

こんにちは。今日の東京はすこし肌さむいですが、初夏ですね。
今回はパリの墓地散歩のすすめです。

美術館にショッピングに食べ歩きに……パリに行くとつい忙しく動き回ってしまう方も多いとおもいますが、静かにのんびり過ごしたいときにおすすめなのが墓地のお散歩です。
今回のツアーでは管さんと(古川さん、石田さんはおつかれが出てホテルで休養)モンパルナス墓地へサミュエル・ベケットのお墓参りにいってきました。著名人がたくさん眠っているので、観光地のひとつになっており、地図もトイレもベンチも郵便ポストだって(!)あります。とはいえ広い敷地内では人口密度が急降下。お墓参りをしながらのんびりした時間がすごせます。

モンパルナス墓地には、サルトル、ボーヴォワール、イヨネスコ、ボードレール、モーパッサン、デュラス、セルジュ・ゲンズブールなどなどのお墓があるのですが、一番に向かったのはサミュエル・ベケットのところ。シンプルなお墓にシュザンヌと眠っていました。


ベケットはアイルランド出身ですが、第二次世界大戦が勃発するとユダヤ人の友人がいたフランスのレジスタンス活動に参加します(友人は強制収容所に連行され、殺されてしまいます)。パリではゲシュタポに追われ、ドイツ占領下の南仏ルシヨンに潜伏していました。大戦終結直後、被災者を支援するサン・ローの赤十字病院で志願して通訳として働いてもいました。
戦争も震災もカタストロフィであり、自分自身、その生や行ないに向き合わざるをえない経験、作家や詩人にとっては言葉を発する仕方に大きな影響を被るような経験ということができるのなら、ベケットと古川さん、管さん、石田さんの言葉を並べてみることができるのではないかと思いました。というより、災厄といえるような出来事のあとに「書くこと」や「言葉」に対する根源的な問いかえしと、それでも書いていく、言葉を紡いでいくという祈りのような決意を、「見えない波」の活動をとおして3人から感じてきたのですが、ふっとベケットのある作品と通じる部分があるかもしれないと思ったのです。思い出したのは、『名づけえぬもの』という作品です。哲学的・文学理論的には間違っているのかもしれませんが、誤読は読者の特権ということで許していただいて、4人の言葉を並べさせてください。

           *
言葉では書けないことがあるというのが
言葉に組みこまれた最大の教えだった
遠く離れた場所での何かに経験をつけくわえようとするが
その距離と無知は絶対に変わらない
言葉が言葉にすべきでないことがあるというのが
言葉のもっともつつましい誓いだった
雨滴は太陽に挑むことができず
砂粒は風にけっして勝てない
そのように言葉はひとしずくの雨、ひとつぶの砂として
蒸発を受け入れ、制御できない飛行を甘受する
それでもこの雨滴に喉をうるおし
この微細な砂粒にしがみつく虫がいるだろう
われわれは虫だ、われわれはあまりに小さい
すべてのわれわれが虫だ、あまりにはかない
この小さな体と感覚器の限界に捉われながら
世界を語らず、ただ世界の光と雨に打たれて生きている
      (管啓次郎『島の水、島の火 Agend’Ars2』からI)

          *
新聞社の仕事で震災の各被災地を訪れ、三十名近くの被災者の方々にインタビューした。「月の犬」は、ぼくの故郷でもある埼玉県に避難移住を余儀なくされた、実在する母子の話を中心に書かれている。近刊の「音」をテーマに綴った連作詩集『耳の笹舟』の一篇。この作品を東京の書店で初めて朗読した二〇一三年十二月二十一日、日本政府は被災者の「全員帰還断念」を発表した。
     (石田瑞穂「月の犬」紹介文より)

          *
……私は、書く、と言う。書けないという選択肢はない、書く、と言う。
(略)
……声がする。行け。お前が被爆しろ。あるいはただ、見ろ。私は福島県の仲通りに生まれた。私は浜通りに行かなければならない。

どうしたら苦をともにできるのか。

 しかし私は承知している。遅すぎてはならないのだけれども早すぎてもならない。ボランティアには専門の手がまず要るのだし私は報道のプロでもない。必要なのはプロで、私はプロのボランティアではないしプロ以外のボランティアにもなれない。物語性を帯びた善意を疑う人間だからだ。またジャーナリストでもない。だとしたら何者か。小説家だ。
 小説が書けない小説家だ。
(略)
 いや、違うのか。問題は私がいま(傍点)小説を書いていない(傍点)ということなのか。書けない。
(略)
 戻ろう。戻ることでしか書けない。
(略)
(傍点)私たちは誰も憎めない(傍点)。
だとしたら、そこにしか希望はない。
私たちは憎まず、ひたすら歩くしかない。
復讐を考えずに歩く。
報復を考えずに歩く。
私の脳裡にふいに言葉が浮かび、それが声になる。
それが声になる。声はこう言った。
生まれてきたっていいんだろ?
(略)
 小説が呼んでいる、と私にはわかった。俺を小説が呼んでいる。だから私は福島に戻る。
(略、最後)
 そこから東に三キロ離れて海岸がある。海鳥たちが鳴いている。死にかけているものは何もない。死はたしかに存在したけれども、この瞬間は死にかけない。
 ここで私のこの文章は終わり、はじまる。
     (古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』から随時抜粋)


そして1949年に刊行されたベケット『名づけえぬもの』(安藤元雄訳)の最後。

          *
続けなくちゃいけない、おれには続けられない、続けなくちゃいけない、だから続けよう、言葉を言わなくちゃいけない、言葉があるがきりは、言わなくちゃいけない、彼らがおれを見つけるまで、彼らがおれのことを言いだすまで、不思議な刑罰だな、不思議な過ちだな、続けなくちゃいけない、ひょっとしてもうすんだのかな、ひょっとして彼らはもうおれのことを言っちまったのかな、ひょっとして彼らはおれをおれの物語の入り口まで運んでくれたのかな、扉の前まで、扉をあければおれの物語、だとしたら驚きだな、もし扉が開いたら、そうしたらおれはおれなんだ、沈黙が来るんだ、その場ですぐに、わからん、絶対にわかるはずがあるもんか、沈黙のなかにいてはわからないよ、続けなくちゃいけない、続けよう。
          *

言葉があるかぎりは、続けようと思います。

最後にお墓の写真をいくつか。サルトルとボーヴォワールは入り口を入ってすぐのところに、一緒に眠っています。墓石にはキスマークがいっぱい。


ボードレールのお墓はわかりにくくてお墓掃除に来ていたムッシュに教えてもらいました。「ジャック・オピックの立派な息子」として家族と一緒に葬られていました。


最後はゲンズブール。さすが人気者。お花でいっぱいでした。

(スタッフS)